2021/01/29

大人になってもサンタクロースを信じている人の話


・イントロダクション

私とゼミ生のMは、現代における信仰の研究の一環として、大人になってもサンタクロースを信じ続けているというT氏に会い、インタビューをさせてもらった。

T氏は現在30代独身一人暮らしの男性。国内の大学を出て、東急電鉄沿線上に有る小さなIT企業に務める。サンタ信仰以外には政治的にも宗教的にも偏った信条は無い様子で、一般常識が有り、世間の様々な話題に対して終始冷静に中庸の姿勢を保っていた。読書や見る映画でフィクションにのめり込む事はまれで、読むのはもっぱらノンフィクションとの事。

我々は某所に有る喫茶ルノアールで飲み物を飲み、サンドイッチをつまみながら話を聞いた。氏は紅茶の味をお気に召したようで、ルノアールの紅茶はよく効くと言ってお代りをしていた。

氏の話題は途中であちらこちらに広がり、大いに盛り上がり、インタビューの時間は3時間あまりに及んだ。以下の原稿では、関係のない部分をカットしサンタクロースの部分を抜萃してある。

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 この話題については、最初にはっきりさせておきたいと思います。現代の、クリスマスに子供に送るおもちゃのプレゼント、あれは親が買い与えています。子供だった知っています。現代日本においてクリスマスは、おもちゃ界の商業イベントです。
そして今は少子化でしょう? おもちゃも明らかに、対象を大人に広げようとしていますよね。特に見事に変形する超合金は、大人にとってもガジェットとしてとても魅力があります。でも凄く高いし、それにおもちゃというのは大人にとっては、基本的に何の役にも立たないただの飾りですよね。それを買わせるためには何でもいいから切っ掛けが必要なのでしょう。

 もちろん、私が子供の時代だってそうでしたよ。ある程度年齢が行った時には、友達も口々に言っていました。これ親に買ってもらったのは知っているけど彼らを喜ばせるために知らないフリをしている、って。
でも、その彼らの前では口には出さないけど心のなかではサンタさんを信じている、と打ち明けてくれた友達もいましたね。
親とサンタは結託している、というハイブリッドな信仰を抱いている友達もいました。

私は信じているか、ですか? そうですね、説明はちょっと難しく、話は長くなりそうですが、良いですか?


・1度目のプレゼント

 私自身ですが、クリスマスには2回、ブレゼントを貰っています。でもこれがサンタクロースからのものなのか、それとも親が買い与えてくれたものなのか、確信が持てません。なので、これを証拠として信じている訳ではないです。

貰ったときの気持ちですか? その時の状況を含めて?

そうですね、最初に貰ったのは絵本でした。

 ウチでは、それまでクリスマスというものを祝ったことが有りませんでした。なので、朝、自分の寝床の近くに包み紙に包まった何かが置いてあったのを見ても、それが何かと言うのは全く分かりませんでした。親に聞いても知らないというのでますます分かりません。

包を開けてみたら、今でもよく覚えています。バーバラ・クーニーのルピナスさんという絵本でした。ご存知ですか? その時私は4歳でした。この本は4歳の男の子にとっては分かりやすい話では有りません。当時の私にはルピナスさんの行動原理が全く理解できませんでしたね。後になって不条理という言葉を覚えましたが、それに近い感覚は抱いたと思います。でも、年をとって思い出すとこれ分かって来るんですよ。人生の折々にふと、あのストーリーを、あの絵本の場面場面を思い出すんです。
そうそう。ギックリ腰とか(笑)

 サンタの話でしたね。その本がサンタクロースからのプレゼントだと知ったのは、数日後、友達の家に遊びに行った時でした。
確かテレビゲームだったと思いますが、新しいおもちゃがあって一緒に遊びました。それは彼が言うには、サンタクロースがプレゼントしてくれた、という話だったんです。

私もその当時は、クリスマスというものがどういうものかはぼんやりと知っていました。街はクリスマスの飾り付けで溢れますし宣伝もしていますしね。でも、さっきも言いましたがウチではクリスマス、というか年中行事みたいなものは一切していなかったし、4歳から通い始めた保育園でも何故かクリスマスはしていなかったんです。なので、本当に自分のところにプレゼントが届いても、それが何だかは解らなかった。

でも、彼の話を聞いてビビッと理解したわけです。そうか。あの包み紙にくるまれたプレゼントは、サンタクロースからの贈り物だったのか、ってね。でも、この事は親には黙っておこうとも思いました。親だけではなく誰にも言わないようにしておこうと。

何故秘密にしようと思ったかですか? うーん。そうですね。なんとなく、なんとなく漠然とですが、しかし強く、本当に、雷に打たれたように強く、本当に本当の事、本当に大切な真実に触れた、という気がしたんです。

この感覚はずっと続きました。いえ、今でも続いています。後に自分でも徐々に、世間一般でのクリスマスプレゼントの真実を知るようになりましたが、でも自分の知ったこの事実はレイヤーが一つ違うところに有る、今時分が住んでいるこの世界とは別の世界にある真実という気がしていました。ええ、今でもそういう気がしています。


・2度目のプレゼント

 次の年にサンタさんに貰ったのは、レゴブロックでしたね。かなり大掛かりなセットで、部品の数と種類が沢山有って何でも作れるものでした。
実はその年は事前に、友達に聞いてサンタクロースのことを色々調べていました。どんな物が貰えるのか。なぜ貰えるのか。どうしたら自分の欲しい物を伝えることが出来るのか。
複数の友達から聞いたところによると、ただ願えばそれが貰えるとの話でしたので、それで自分の欲しい物を願ってみる事にしました。

その当時は缶詰が大好きだったのでそれをお願いしてみました。ええ、缶詰です。鮭とかミカンとか、そういうのです。普段ウチではあんまり食べませんでしたが、たまにお歳暮とかで頂く事も有り、とても嬉しかったんです。
そして、自分で自分が何をお願いしたのか忘れないように、それをノートにメモしておくことにしました。だって、あとになって振り返ってみて、忘れていたり思い違いをしたら嫌でしょう? それは人にはわからないように暗号で書きました。絵を組み合わせて描いて、後で自分だけがわかるようにしたんです。そして、そのノートは誰にも見られないように注意しました。

これは自分にとって重要な実験でした。そうやって、試してみようと思ったんです。
実験をするなんてそれは不敬だと思われるかもしれませんが、しかし子供の思いつくことですからね。その時の自分は子供でした。仮に自分がサンタクロースであったとしても、子どもたちにそういうテストをされたら喜んで、面白がって応じますよ。

 しかし、先程も言いましたが貰ったのは意外にもレゴブロックでした。
確かにレゴブロックも欲しいとは思っていたんです。保育園では、自由時間にはいつもレゴで遊んでいましたから。時たま自分でも傑作だと思うものが出来るのですが、でもすぐ壊さないといけないんです。残念に思っていました。家に持って帰りたいなぁと。

それで、その日大喜びして早速組み立てていたら、それを見た父親が「説明書通りに作らないのか? それだと説明書の完成品と形が違ってしまうのではないか?」と聞いてきました。それで私は、自分が作りたいものを自分の頭で考えて作っている、と答えると彼は随分喜んだのが印象に残っています。彼は昔から若干アナーキーな所があって、人が権威に逆らう事を喜ぶフシが有りました。年をとった今でも、政府のする事やしない事をいちいち批判していますよ。まあ、子供の頃から自分の身近である種の人間の典型的なサンプルを見られて、勉強にはなりました(笑)
ウチの家庭で一般的な年中行事を一切行わないのも、彼の思想を反映しての事でした。

ああそう言えば、父親もそのレゴブロックの出どころを、何の疑いもなくサンタクロースと述べていた事を思い出しました。今思うと、父とはその件で何の疑問も疑いもなく、当然のようにサンタさんからの贈り物という認識を示していましたね。それは当然の前提という感じで、全くスムーズにコミュニケーションが取れていました。彼はクリスマスを祝わない人なのに、今思うと不思議です。

 そうそう、それでサンタクロースにした願い事の方ですが、それが何とですね、家の食料戸棚を開けてみたら、いろいろな種類の缶詰が幾つかずつ入っていたんです。
聞いた所それは両親が買ってきたものだったのですが、それが、普段は寄らないスーパーにたまたま行ったらたまたま値引き品として売られていて、そしてふと私がそれを好きだということを思い出したので買ってきたと言うんですよ。

偶然にしては凄いじゃないですか。それでその時つくづく思ったのは、誰も見ていなくても、誰も気づかなくても、サンタさんはちゃんと見てくれているのだなと言うことでした。自分が書いたノートを見返してつくづく思いました。

 それにしても興味深いのは、その時の直接のプレゼントはレゴブロックだった事です。
その前は本でした。
食べ物は食べ終わってしまうと無くなりますし、子供が欲しがりがちなキャラクターグッズみたいな物も、どんなに夢中になっていても時期が来るときっと飽きてしまいます。しかし、絵本とか、それこそレゴブロックといったプレゼントは、貰う人の一生を益するものです。やはりこういうものこそ、本当の意味でのギフトだと思うんですよ。

実を言うと自分がITの仕事につくことが出来たのも、子供の頃レゴに夢中になっていたのが遠因ではないかと考えています。レゴという遊びはプログラミングに通づる面白さが有るんですよ。本当に良いものを、良い時期に頂いたなと感じています。
ああ。ええと、もちろん缶詰も喜んで頂きましたよ。

サンタクロースからのプレゼントはそれが最後でした。


・なぜサンタクロースからのプレゼントは物なのか

 寂しいとかそういう気持ちは無かったです。実のところ、自分は別にプレゼントが欲しいわけでは有りませんでしたから。と言うのは、欲しい物が有った場合は親に言えばすぐに何でも買ってもらえたんです。小学生のときは電子ブロックとか天体望遠鏡とか、高価なものを買ってもらって友達からも羨ましがられました。
それはずっと続いて高校生になっても音楽プレイヤーとかデジタルカメラとかを、買ってもらったり親のお下がりをもらったりしていました。

今も、自分は独身ですし、必要なものとか、それからただ欲しいと思ったものも、誰に遠慮する事もなく買っています。でも、欲しい物が手に入る環境で育つと、物ってかえって欲しく無いんですよね。満たされているので逆に変な欲求も高まらないし、物がどんなものかも知っているから下らない物に憧れたりもしません。所詮物は物です。

 ただ、不思議なのは、どうしてサンタクロースは子供に対して物を上げるのかということなんですよ。しかも、飢えている子供に食べ物とか、貧乏な子供の家にお金とかじゃないんですよ。ただのおもちゃで、それも大抵は裕福な家庭の家の子供に配られます。まあ、大抵は親が子供に買い与えていますから、それらひっくるめて全体を見てしまうとそういう印象を受けるという事も有ると思います。

ええ、ええそうです、親が自分の子供に対してプレゼントを買い与えていると考えると大方の説明は付きます。実際それは本当にそういうケースがほとんどだと思います。

 ただね。こう言っておいて何なのですが、世の中には人間がいくら考えても解らない事って有ると思うんですよ。人がする行為に紛れて、サンタクロースがする行為もあるのではないか、と思うんです。

不思議といえば、人の体の作りだって随分不思議ですよね?
多くの人は自分がなぜこの世に生きているのか、不思議に思いません。自分には何故人はそれを不思議に思わないのか、全く理解できません。だって、DNAの中には人の構造が設計図として入っている訳ですよ。そしてその中の必要な部分が必要に応じて紐解かれ、タンパク質が作られるわけです。細胞一つの中に、機能が分かれた部品、というかそれ自体がもう生き物みたいなのがウジャウジャいて、それで生命が維持されているんです。こんな小さな細胞の中で。こういう事実は、知れば知るほど不思議だと感じます。

 それでですね、ちょっと自分の考えを述べてもいいですか? それらは物なんですよ、全部。人も究極的には原子分子電子が作り出すモノなのです。しかし、モノであるはずの人はこんなにも豊かな世界を内包し、こんなにも不思議で満ちている。
これはつまり、まあちょっと飛躍するのは認めますが、多くの人が「自然」とか「当たり前の必然」とか、そのように思っているものの中に、どこか超自然とか必然ではない意思の働きみたいなものが作用いているという事だと思います。

その働きの実態はなんなのですかね。私もわからないのですが、まあ当然です。人にはわからない話だと思います。
自然と不自然、必然と自由意志、これはら、傍から見るとどっちがどっちだか分からない現象です。大体、人は無意識に決定し行動するその行動原理を自分で知ることは有りません。とすると、その無意識が全て自分のもの、自分の体の中からだけで湧き上がってくるものかどうかって、分かりませんよね? 創発はなぜ起きるのか。この我々の世界からだけ考えているのなら、永久に謎のはずです。

なので、これは多分、あちらの世界の境界が何らかの形でこちらの世界に繋がっているのではないか、と、漠然とですが考えています。異世界と接するメンブレーンのようなものを原子一つ一つが構造として内包していて、その構造を通して世の中のすべてのものがこちらの世界とあちらの世界、世界間で通信をし、お互い影響しあっている。と考えてはどうか、と思っているんです。

 そして、これは本当に漠然と、何の根拠もなく個人的に考えているのですが、そのメンブレーンを介してあちらとこちらの情報交換をするのには何らかの規則や法則があり、人が一般的に宗教について考えるほどには自由が無いのではないかと思っています。
なので、こちらは人が思っている頭の中の思念でもサンタクロースに届き、しかし向こうからこちらに向けて届くのは物、それも、なぜか分かりませんが子供のおもちゃや絵本だけなのではないか、という風に考えています。
おもちゃは、あちらの世界のサンタクロースからこの世界にいる子供への、何らかの思惑が込められた情報なのではないか。と、そういう風に考えているんです。

とは言えこれはまだ考えている途中の理論で、もっといろいろな本を読んで証拠を集めて、検証してゆかなければなりません。


・名前、呼び方

 未だに分からないんですよ。サンタクロースの正規な呼び方がサン・タクロースなのか、それともサンタ・クロースなのか、あるいはサンタク・ロースなのか。
お店のドン・キホーテの事をよくドンキって言うじゃないですか? 同じようにサン・タクロースの事もサンタって言っているんではないかと・・・

いや自分は昔、映画俳優のブルース・リーってご存知ですか? そう、カンフー映画の。その人の名前をずっと、ブルー・スリーだと思っていたんですよ。それがある時、本当の名前はブルース・リーだと知ったわけです。自分の中で有る種の、世の中に対する安定した認識のようなものが瓦解しました。一つの安心感が消えたんです。ものの見え方が変わったんです。
例えば、ヘレン・ケラーっていますよね。その人の名前は本当は、ヘレンケ・ラーだと知ったような気がしたんです。まあ、この事は誰にも言っていません。あなた達に打ち明けたのが初めてです。おかげで世間では笑われずに済みました。
でもね、世には源氏名を名乗る人もいるじゃないですか。そういう、人が知らない本当のことが世の中には有るのだな、という世界観は抱いて生きています。

 ああ、サンタ・クロースが正しいんですね? セント・ニコラウスが訛ったもの? へー初めて知った。じゃあ外国人にはサンタクロースって言わないでセントニコラゥスって発音した方が通りが良いですね。え? 英語圏でもサンタクロース? そうなんだ、ややこしいですね。


・クリスマスについて、心を痛めいてる事

 今の時代、世間で一般に行われているクリスマスの儀式は、もともと意味の有った何かが全く無意味に形骸化したものだと思います。
もみの木、星の飾り、リース、ターキーを食べる事、プレゼントをしあう事等、今でも続く儀式。全てとは言わないけれどほとんどはもとの形から大きく変わった、あるいは元々あった何かの形だけを表したもに過ぎません。大体キリスト教とクリスマスの関係からしてもともとはほとんどこじつけの恣意的なものですし。

カーゴ・カルトってご存じですか?
そうそう。第二次大戦中、南方の島で、アメリカ軍が物資を投入するのを見た現地人が、軍が引き上げた後もまたアメリカ人が天から現れて物資をくれないかなぁと思って木の枝などその辺にあるもので空港とか管制塔とか、そっくりの模型を作って待ち惚けていたという話です。

本当にソックリに作っていたんですよね。それっぽく作った滑走路には木でできた巨大な飛行機模型を並べて、その横には木で櫓を組んで管制塔もどきを作って、そこの管制塔係の人は木でできたヘッドフォンを付けていたんだそうですよ。
笑っちゃいますよね。でも、その人達の気持ちを考えると笑い事じゃないですけど。

今のクリスマスって、傍から見るとカーゴ・カルトの人達が作った模型のように実態のない、ただの模型だと思うんです。まあ、誰も本気にしていないだけマシですよね。
あ、いや、熱心なクリスチャンと親のプレゼントを期待している子供には申し訳ない。儀式を行う人は、儀式は実態ではないことを知りつつ執り行っているのでしょうし。

 それから、なんと言いますかこれは本当に私の心を痛めていることなんですが、親がその実態の無いクリスマスプレゼントを餌にして、自分の子供を支配する道具に利用しているという事が残念でなりません。良いことをするとプレゼントが貰えるというやつです。そうやって、親の都合の良いように自分勝手にサンタクロースが語られている。

僕はね、親は親、サンタクロースはサンタクロースだと思うんですよ。それが何で、親がサンタさんの替わりにそうやって語るんでしょう? 親ってサンタクロースの預言者ですか? それに、人とサンタクロースとの関係は個人的な関係じゃないですか? どうしてそこに割り込んでくるの? 大体親自身、本気で信じていないのでしょう?  自分が信じていない事なのに、子供に信じる事を強要しないでよ? そうやっていつまでも子供を操るつもりですか?

・・・済みません熱くなってしまいました。しかし、そう思います。

 そして、これは二重の意味で悲しい事です。つまり、そういう親の嘘はいつかはバレます。そうですよ嘘なんですから。
そうしたら、子供はがっかりですよね。今まで本気で信じて、自己犠牲の道を歩んできたのに。自分が本当はしたかったことを諦めて、サンタさんが良いという事を、サンタさんの為だと信じて行ってきたのです。
なのにですよ。それが、希望が偽りなら善悪の基準でさえ単に親が考えた偽りだったなんて、知った日には脱力するじゃないですか。自分の人生は何だったのだろう? 多分、悔しいですよ。怒りますよ。恨みますよ。性格が歪みますよ。

それでね。私がここでもっと重要な問題だと思うことなのですが、そのような体験をしてしまった人は、本当のサンタクロースを知ることが出来ないのではないかという事なんです。そこを心配しています。
偽りのまがい物に騙された、と感じている人は、本物を目にした時それを本物を見分ける事ができるでしょうか? むしろ、その分野のものは十把一絡げに全部ウソだと思って避けてしまうのではないですか?
私に言わせるのなら、それは本当に、極めて残念なことです。

更に悪い事を想像すると、偽物が作った心に空いた穴を別の偽物が埋めてしまいかねないだろうか、カルト宗教とか、悪質なオンラインサロンとかに時間と金を貢いでいる人たちの中には、子供の頃親に騙されて、ニセサンタクロースを信じていた人が多いんじゃなぃかなぁ。とまあ、これは根拠のある話では有りません。でもなんとなくそんな気はするんですよね。


・サンタクロース信仰

 では、サンタクロースとはいったい何なのかという事が重要になると思います。だってそうでしょう。プレゼントの全部が全部、親が自分で買ってきたプレゼントだったら、そこにはサンタクロースはいないという事になります。

僕はその実態を知りたいと思っています。ええ、今でも知りたいと思っています。

でも、自分はサンタクロースにどのようにして近づき、理解することが出来るのか、分かりません。瞑想すれば良いのか善徳を積めばよいのか・・・

しかし、無邪気な子供の心の中の願いを分かってもらえた訳ですから、まして一人の大人の人間が心のなかに探究心を抱いている事は、向こうにも伝わっているのではないかと思っています。

答えてもらえるかどうかですか? もちろん期待しています。単なるぼんやりとした憶測ではなく、はっきりとした印として何かしらの証が与えられるものと期待しています。それが、人がサンタクロースから貰える最高の贈り物だと思っています。

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