いや僕はもう、お酒はいいかな。それよりもう一つ何か食べよう。ハムカツ、白身魚のフライ? それがいい。白身魚のフライ、四つ下さい。
で、君の意見だけど、人は死んだ方がいいって話だよね? まず知りたいのはそれは自分は死んだ方がいいって事? それとも人は死ねばいいけど自分は生きていたい? 誰かと永久におさらばしたいとか? 自分が死んでもいいって事? 自分の意図とは関係なく殺されてもいい? 殺すぞって言われたら、はい喜んで死にます、殺されて構いませんって事?
君と話していると、どうしてこう話がややこしくなるかね。
僕が言うのはだね、そういう個別のケースを含めてね、事故死でも殺人でも病死でも老衰でもね、人はとにかくいつかは否応なしに死ぬ。この事を知るべきだって事。
この事を、良いとか悪いとかじゃなくて受け入れるべきだって事だよ。
本人はもっと生きたいのに病死とかは? 悲しいと思わない?
ああ、それ、もっと生きたい、というのは欲望だ。もっと、って思い始めたら、病気に限らずそれこそだれでもどの時点でも悲しくなるよ。
もっと、もっと、と、思うのは欲だ。欲こそ捨てないといけない。それよりも今有る物を大切にして出来る事をより良く行い、出来ない事は諦めてそれを受け入れる。
天国なんてあると思うから、欲に駆られて騙されるんだよ。
愛も欲かな?
家族と別れるのが寂しいと思うのも欲?
そうだね。ま、分かれて自分が悲しい、寂しい、と思うてのは、これは正に利己的な人間の渇望だ。でもそれだけじゃなくて、相手が悲しむだろうなぁ、相手にもっとしてあげたいなぁ、というのもこれも、あまりに積極性を持つと、おせっかいつうか、苦しみの元だろうな、と思うよな自分は。
じゃあさ、君は何で生きているんだ? いや、生きているのは分かるよ。毎日・・・
そこはね君。あんまり考えちゃいけない事なんだと思うんだよ。そういう大きな思想なりなんなりが有る、と考えるのは抗しがたい欲求でさ、でもそこを誰かにガッとこう、掴まれちゃったら自分のコントロールを失うでしょう? そんな風にしてさ、カリスマを中心に共同幻想に陥る訳よ。
いや僕はさ、その君の言う共同幻想というのは、それと言うだけで否定しちゃいけないと思うんですよ。だって歴史的にも地理的にも、共同体にある種の心情が共有されるってのはそちらの方が普通でしょう。これはもう、人間生まれつきの性質だよ。
生きたいっていうのもそうだよね? 元々本能として動物に組み込まれていない?
それから愛っていうのも、君は否定したけれどさ、愛が無くちゃ生命の営みも無い訳でしょう? そうしたら、折角生まれた種も一世代で絶滅しちゃうじゃん。
まあ、待って。
ちょっと将来の事を考えて見てみて欲しい。宇宙、我々のいるこの宇宙ね。これは将来どうなる?
どうなるかは諸説ある。
宇宙は無限に広がり続け時間が経過し、やがて熱的並行に至る。
あるいは、ある時点で膨張が収縮に転じ、やがてぎゅっと縮まって、その後はよく分からないけれど、もう一度爆発するかもしれない。
ま、いずれにしてもね、我々の知っているいわゆる生命は途絶えるの。いづれは。
生命と言うのはね。冷えて行く宇宙の中で局所的に立ち上がった煙の渦みたいなもので、コーヒーカップに注がれたコーヒーが渦巻いて混ざりあい、やがて冷めて行くみたいに、いづれ無くなってしまうものなんだよ。それが物の理だ。
だから、早くそれに気づくべきなんだ。気づいて、そして人生の早い段階で飲み残しのコーヒーみたいに一切冷めてしまう。宇宙の将来と同じようにね。そうすれば、凄く楽になると思うんだ。
ああ、そのアナロジーを貸して貰うとさ、僕はね、この宇宙と言うのは誰かが飲みたくて淹れたコーヒーだと思うんだよ。つまり、熱くて渦巻いているその状態こそが望まれる状態で、そこに望まれる形で生命現象も有ると思う訳。
その原理は、一言で言うと愛なんだと思う。
だから、冷めるんじゃなくて、熱い愛を抱く事こそ、本来の姿なのだと思う。
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