半年ほど前から、僕は海岸の崖の近くに立つ要塞に住んでいる。
命令されてと言う訳では無くて、単にそこを借りる住民として。
それは随分前からここに有って、もう僕が生まれる前から建っているらしいけど、人が出入りしているのを見た事はほとんどなかった。つまり使われてはいなかったのだと思う。
そこが共同住居として貸しに出されたのは最近で、近頃この辺では珍しく電気とガスが自由に使えると言う。しかも安い。有事には速やかに退去するという条件付きで僕は借りた。
雑貨屋から要塞アパートまでの道のりは長い。しかも左右に目印の無い崖の上だから、日が暮れると危ない。最後の方は道という道は無くて、コンクリートで四角を積み重ねたような護岸工事をされた崖の平らな部分を歩いて行く事になる。
僕が店のビニールバックを持ってそこを歩いていると、崖の下の方から猫が数匹登って来た。僕はこの道を通る人で、猫たちに餌を与えているのがいるのを知っている。彼ら猫達は頭が悪いから、その餌を与える人と僕を見間違えて来ているのだろう。その点海鳥は賢くて、餌を投げる人と投げない人を確実に見分けている。海鳥達は僕の所には絶対来ない。
僕は仕方がないから、袋の中にあるパンをちぎって猫に投げた。
道を歩いてゆく。この辺は特に危険な所だ。下には護岸の裂け目が出来ていて、真下の海岸が、鋭く尖った岩を絵画の額縁のようにして見える。
突然背後から、三匹の犬が僕の方に走って来た。僕は身の危険を感じてその場にしゃがみ込んだ。
先頭の一匹は背が高くて足が長く、美しい灰色をしていた。その後ろから来る2匹はどちらも茶色い毛が長く、太く力強い足をしている。後の2匹が先頭の1匹を追っているようだ。
灰色の犬が急に方向転換をして崖の下に向かった。斜面から出っ張っている平らな所を器用に選んで足場にし、次の足場に向けて飛び移りながら猛スピードで降りて行く。
追う2匹のうち1匹が、足を滑らせて体制を崩し、宙に舞ったかと思うと鋭い岩の角に体をぶつけ、そのまま真下に、その辺りにわずかに出来ている砂浜に落ちた。
犬は首だけを必死に回し、狂ったように当たりの様子を見まわしている。首より下の体は多分不随意に、体を起こしたらそのまま地面を走り去るのではないかと思うよう脈動しつづけている。今の時間満ちてきた潮が、砂と体の間を濡らすあの辺りにはカニが沢山いてもう体に群がり柔らかい部分をちぎり始めているはずだ。ここからは見えないけれど。
僕の住む部屋は7階くらいの部分にあり、外から見ると小さな窓が見える。
人が一人やっと通れる小さな入り口を入り(驚いたことにそこの自動ドアは今でも機能している)、赤っぽく暗い照明が付いた狭い階段を真っ直ぐ登ってゆくと一度通路が枝分かれするフロアに出、さらにその奥にある同様の階段を登って行くと部屋のあるフロアにたどり着く。
本当は、店から帰って来た時には別に有るもっと大きな出入り口から入るともっと短い距離で部屋へ帰る事が出来るのだけど、その大きな出入り口の扉は、お上の命令と言う事で少し前に管理人のお婆さんが閉じてしまった。
管理人と言うのはここに住み込みで働いていた人で、アパートとして貸し出し始めた頃から住んでいると言っていた。つまりそれ程前からでは無いいつかからここに住んでいたらしい。
顔のシワシワ加減から年は50~60と言った感じだけどガタイは大きくとてもしっかりしていて、またとにかく動作が素早く的確だった。掃除している様子など、掃除と言う種目の競技でも見ているかのようだった。
体に対して小さい顔は、鼻とあごのラインがシャープで、束ねた長い髪越しに顔のラインを見ていると美人に見えた。でも体臭が強く、それも動物というより化学工場の毒物みたいな臭いがした。彼女の体の中にはきっと昨日食べた食べ物を原料に毒の雲を作り体に纏って有害な生物を寄せ付けない仕組みでも有ったのだろう。
その管理人も3日ほど前に居なくなってしまった。
自分の部屋へ行く手前に有った管理人の部屋は、入り口のカーテンが取り払われて、中がガランと見えている。(部屋の出入り口にはドアは無く、僕らはドア代わりにカーテンを掛けている)
突き当りに見える窓の枠に、海鳥がとまっていた。
彼女が海鳥に餌をやっていたのを思い出す。
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