2015/12/28

Alfred Schnittke: Labyrinths


不動産屋が案内してくれたその家は、北向きの緩い斜面の上の方に建っていた。

家はちょっと変則的な形で、斜面に添ってゆるい階段状になっている。
北側の広い道路に面した入り口を入るとすぐ広いダイニング、そこから幅の広い階段を数段上るとリビングに繋がっている。リビングの窓は大きく二階部分まで吹き抜けで、とても明るい。
リビングにある飾りつけのような階段の上には、ロフト的に二階が付いていた。

僕と妻と不動産屋はその階段を上って、下のリビングが見える回廊のような通路を通って二階に来た。

レースのカーテンがかけられた小さな窓からは街路樹越しに、下の道を歩く人が見える。二階にはこの一部屋しかない。
奥には大きなベッドが二つ置いてあり、そこにはまるでホテルの様に布団が整えられてあった。

「まだ住んでおられるというお話ですけどね。いえ、今日はまだ住んでいらっしゃるはずです」
と不動産屋は言った。この家の現在の持ち主の事だ。

この家には現在、子供のいない中年の夫婦が住んでいるという。でも、全く生活感が無かった。全ての物があんまり丁寧に置かれているので、注意してみるまでは日用品が置いてあることにも全く気付かない。ティッシュの箱さえ定規で計って置いたかのようだ。まるで美術館に来て美術品でも見ている気がする。


僕たち夫婦はこの家が大変気に入ったので、後日購入した。
不動産屋は、家の前の持ち主の夫婦はすでに引っ越しているので入居は何時でも良いと言ってくれた。
それで僕らは、週中はしばらく今住んでいるアパートで過ごし、土日を何度か使って自分たちの車で荷物を運び、そうやって徐々に引越しをする事にした。
二人の荷物なんてかたかが知れているし、家具はみんなIKEAの物だから、上手くばらせば車で運べるだろう。
僕らは家の鍵を受け取った。


金曜日の会社の帰り、僕はふと、あの買った家に行って見たくなった。
明日にはまた行く予定なのに、今日寄るのは無駄だ。無駄だけど、そもそも僕というもの自体無駄で出来ているようなものだから、まあいいか。新しい家は職場に近くて、しかも帰りの路線の途中に有るから、寄ろうと思えば帰りにちょっと寄る事も出来るのだ。

家に来てみると、驚いたことに電気がついている。駐車場には見知らぬ車が2台停まっていた。中からは人の声がする。
僕は玄関を開けて(カギはかかっていなかった)、そっと中に入ってみた。リビングで、男女、若い人から年寄りまで10人くらい集まって、何か静かに話合っているようだった。
こちらに気付いた一人の男が玄関まで来る。ワイシャツに黄色い首の大きく開いたベストを着ている。淡い色の随分太いタイが妙に目立つ。

その人の、何かご用ですかと言った時の態度と、それから僕がここの持ち主であることを話した時の驚きぶりがあまりにも自然だったので、なんだかよく分からないけれど、これは何か手違いの類だなと思った。
話を聴いてみるとやはり手違いだった。彼らは、家の前の持ち主が引っ越したことを全く知らなかった。有りうる話だと思った。何と言ってもこれは元々抵当物件だ。

彼らはこの家を、前の持ち主から集会場として使う事を許され鍵も預かっていたそうだ。つい先日も集まりに使われたとの事。
しかし、人が大勢ここに来て集まっていたなんて、全く気付かなかった。だって、床もどこも塵一つないくらい綺麗にされていたし、流しも水滴の跡さえ無くピカピカに掃除されていたから。
彼らは、集会に使うお礼として毎回家の清掃をしていると言う。

僕は彼らに言った。
突然集まり場所が無くなるのも不便でしょう。
もし良ければ、この家をしばらくお使いください。

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