2017/12/26

Toy Symphony





漫画家のO君から久しぶりに連絡が有った。メールには、仕事を辞めたと有った。僕たちは会う事にした。

待ち合わせたのは彼の住む町の駅からほど近いマックで、そのままそこで午後の遅い食事という事にする。今連載を持っている雑誌が休刊になると言った。なるほど、でも次に仕事は無いの? いや休刊と言うのは切っ掛けで…

古い設計の店内に、窓際の席が空いていた。4人掛けのテーブル席にそれぞれ隣にカバン置き、僕らははす向かいに座った。西向きの窓から入る光がテーブルの上を照らしていた。

O君は話し始めた。

「いや、驚きはしなかったよ。自分の場合ちらっと話も聞いていたし、時期の問題だった。ネームも数本先まで上げていたのだけど、この後どうやって終わらせようかと担当共話していたところだったんだよね。だから、連載を終えることは計画していたんだ。

で、休刊の号が決まった時に、まあ、これが最後だからちょっとそれらしい終わり方をしようと思った。最後の回だけもう一度下描きを作ろうと思ったんだ。まあ、これは通常の業務って感じでね。

勿論、感慨というものは有ったよ、でも、あくまで通常の仕事として取り組もうと思っていた。
所が、いざ描こうと思ってタブレットを手にしたのだけど、いつもと感じが違った。感じっていうのは、機械の調子とかそういうのじゃなくてね、それそのものの感じは同じなのだけど、何と言うか見た目が違う。」

彼は手で目を覆った。朝顔を洗うときにするように、両手で顔を撫でた。
それからその手を徐々に頬に移動し、そして両手の平を顔の前で合わせて拝むような形を作った。

「光っているんだよね。そういう感じがした事ある? 見る景色が異様に明るい感じ。それで、まるで現実感が無いんだよ。逆だな、現実感が有り過ぎて、自分の主観というものが全く無くなってしまった感じがするんだよ。

普通さ、見るものと言うのは自分の感じを通してみている訳じゃない? 例えばこのコーヒー、これはもうヌルいなとか、ミルクの模様がまだ残っている、かきまぜたわけでもないのに回った跡が有るな、とかさ。

でも、そういうフィルターを通らないの。ここに有るカップに入ったコーヒーって現実そのままが、もう、圧倒的な量で感じられる、そんな感じ。

その時も、何ていうのかな、まるで自分が自分を、外側から、何方向からも観察しているような、そんな感じになったんだ。

それで、全く思いつかないんだよね話が。普通はストーリーも場面もカットもセリフも有る程度湧き上がってくるんだけど、全く何も出てこなかった。出てくる気配すら感じなかった。というか、主体的に何かが出来る状態では全く無くなってしまったんだ。

まあ、PCには前のネームが残っていたから、それを本当に機械的な作業で仕上げて事なきを得たけれど、もう出来ないと思った。ああ、創作の泉が枯れるって、こういう事なんだなって」

O君は言葉を切った。
我々はコーヒーを飲みポテトをつまんだ。
僕はO君が話始めるのを待った。
世界が明るく見える?
傾き始めた日の光が、店内を奥の方まで明るくしていった。でもその光の筋を目で追うとその先の誰もいない向こうの席がとても暗く見えた。

「症状というのかな、その状態はじきに治って普通の感覚に戻ったのだけど、でも少しだけあとを引いていて、実は今でもそうなんだ。まるで自分がここに居ることも、此処に居る自分を見ている自分という認識が、どこかに有る。まるで、自分が漫画の中にいて、そしてそれを読んでいる、みたいな感じがずっとしているんだ。

それは普通の感じじゃあ無い。空間の感覚も時間の感覚も少し違うし、本当に脳細胞に異常をきたしたのかとも思うんだ。どこか大切な所が文字通り、なんか血管が詰まってとかさ、そうやって壊れてしまったんではないかと心配している。

この間うどん屋に行ったんだよね。セルフサービスの所。そこでは自分の好きなトッピングを選んで最後に会計をするんだけど、僕はそこの、ゆで卵を天ぷらにしたやつが好きなの、ああ、君も好き? あれは旨いよね、うどんに入れても塩をかけても、どうやって食べても旨い。

それでさ、ふと見ると自分の前のやつも卵のてんぷらをトレイに取っている訳、ああ、あいつも卵の天ぷら好きなんだな、って思ってよく見たらそれが自分なんだよ。

俺、そろそろ死ぬのかなって思う。」

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